むらまつ城下町めぐり

城下町の看板の写真

村松地区は村松藩3万石の城下町。藩政時代の街並は、近代化の流れ・大火など、時代が進むにつれ大きく変わってきた中でも、現在の街の造りに色濃く影響が残っています。
町内各地の雰囲気ある通りには、その町名の由来などを記した説明看板が建てられています。看板を回りながら、城下町特有の入り組んだ細い小路を探検すると、回り終ったときには江戸時代の城下町がなんでこういう風に作られていたかがわかるはず。村松城跡に造られた城跡公園内には郷土資料館もありますので是非お立ち寄りを。

村松藩

初代藩主堀直時(ほりなおとき)は、堀丹後守直竒(ほりたんごのかみなおより)が長岡藩主の時に生まれました。寛永16年(1639)に村上10万石を13万石に改め、その内3万石を分与され、安田藩の藩主となりました。二代直吉の代となった正保元年(1644)領地替えで村松に移り村松藩が成立しました。以後明治4年(1871)、最後の藩主直弘(なおひろ)まで12代227年間続きました。

領地は村松のほかに七谷(加茂市)・下田・見附の一部まで及んでおり、参勤交代のときなどは、船便のある長岡(直竒公旧領地(なおよりこうきゅうりょうち))まで、自領を通って陸続きで行くことができました。

城下町

城下町は、美的感覚に基づいてデザインされたと言われています。村松の城下町は、進行方向や曲がるたびに道から霊峰白山や周りの山頂が望める「山あて」の美観が特色となっています。

一方、水路や道の曲がり、自然の障害物を巧みに取り入れ、町人町と武家地を区画分けしています。さらに武家地に町人や他藩の者が入り込むことを嫌い、武家地から離す道、複雑で迷いやすい道が造られています。また、居城を攻められにくいようにと、見通しの利く長い直線道路や十字路を避け、T字・L字・交差点のずれなど複雑に組み合わせており、今も城下町としての名残がそのまま残っています。

むらまつ城下町めぐりマップは町内数箇所の総合案内看板又は五泉市役所本庁・村松支所にて配布中です。

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最終更新日:2017年11月01日